掲示板で批判解説をされている記事をご覧になったら御分かりになりますが、こういう風に「法次法向」と
なっているものを「法次」「法向」と分けて分類しているのはこの教祖しか居りません。
これで「仏教をマスターした」というのですから呆れられるのは当然です。
学者さんも他の宗派のお坊さんもこういう分類をしている方は居りません。

なぜ、こういう間違いをしたかというと八法の分類の際に間違った解釈をしているので、(見が抜けている)
どうしても数を合わせる上で法次法向を分ければ数が合いますし、また法次と法向は意味が近しいものです。
ですから端的に深く調べもしないで「分けて分類」したことで片付けているのです。

教祖は仏教の難しいものをマスターした(特に成仏法)と自己申告をしておりますが、ではこのように難解な
成仏法より優しい区分であるものを間違えるのは如何に?ということも有ります。
尚且つ成仏法をマスターしたなら、この在家者が成仏する上での示唆しているお経の解釈を間違うのは非常に
ナンセンスであり、おかしなことです。あってはいけないことともいえます。
(成仏法をマスターして無いという裏づけにもなるからです)

このように教祖は非常にいい加減でデタラメなことをやって「自分こそは凄いのだ」と威張ることだけは立派なのです。
また信者にも過去この事項について質問が出たそうですが、教祖はこの持論を通したままで修正さえありませんでした。
本当に気をつけなければいけないものです。
サルにでも分かるアゴンのインチキと嘘 〜一切事経編〜解説10P目